※出血描写、死ネタ(?)を含みます
ステンドグラスに染められた明るい教会、バージンロードの向こうで私を待っている愛しい人。まるきり、少女が見る夢のような光景だ。
でもそれは、私にとっても間違いなく、目も眩むような「幸福」が感じられる光景で――
(私は、なぜこんな夢を)
鼻をつく血臭。痛みこそないが、きっと致命傷だろうと確信するスピードで、重い赤に塗り替えられていくウェディングドレス。ぐらり、立っていられずに崩れ落ちれば、タキシード姿のイワンさんが駆け寄ってくる。
これは、夢。そうわかっていても、体の自由が利かない。あのあやかしものを仕留めそこなったのかとも思ったけれど、気配を探ってもそれらしいものは見当たらなかった。――ほんとうに、ただの、自分で見ている夢だ。
突っ伏すように倒れた体を、大きな手が抱き起して上向かせる。ガクン、と首が反って、意識どころか命がないのが明白な、出来の悪いマネキンよりひどい動き。イワンさんの手の温度がひどく熱くて、やっと自分が冷え切っていることを知る。
「……ァ」
なにか言おうとして、言葉が出てこなくて、声だけが漏れたような。小さな声が、牙の隙間から落ちてくる。見上げたイワンさんの顔は蒼白で、瞳は細かく震えていた。きっと、動揺が大きすぎて涙さえ追いついていない。
「大丈夫よ」と言いたい、彼の頬に手を添えて笑って見せたい。そもそも、こんな惨状を彼に見せたくなど、ないのに。私の喉は、声にするべき息を通さないし、指先ひとつも動かせない。死んで、いる。
「あ、おみ……さん」
は、とわずかに目を見開いたイワンさんが、たどたどしく私を呼ぶ。
「あおみ、さん」
約束を、したのだ。彼が呼べば、必ず返事をするから、呼んでくれと。私が、自分で言った。
「返事を、……青海さん、おねがいだから」
ぎゅう、と縋るように、私を抱く手の力が強まる。広く、はるかに高い天井に吸い上げられて、今にも消えてしまいそうな声が、繰り返し私を呼んだ。震える声で、祈るように。……呼び返したいのに、口を開くことすらできない。なんでもいい、指の関節一つでも、瞬きでも、心臓の鼓動でも、なにか一つでも動かすことができたら、きっと応えられるし、イワンさんも気づいてくれるのに。
「青海さん、……青海、さん……」
少しずつ、彼の声に、迷いが滲み始めて。私を見ていたはずの目が、虚ろに冷めていく。それでもなお、諦めの色だけは混ざることがないのが、私を焦らせた。
「ちがう、のか……? じゃあ、青海さんは、どこに……」
(まって)
ぱさ、と乾いた脆い声と一緒に、抱きかかえられていた私は床へ滑り落ちる。大きな体を無理やり引きずり上げるようにして立ち上がったイワンさんが、尻尾を引きずってよろめきながら歩き出した。
「探さ、なきゃ」
(待って、イワンさん)
――これは、私がイワンさんにかけた、呪いだ。返事をするまで、きっとイワンさんは、私を探してしまう。
(ごめんなさい、……イワンさん)
「……青海さん」
あおみさん、と呼ぶ声が途切れない。なおも動くことができないまま、その声に応えたくて、ただ心の中でイワンさんを呼び続けた。
「……みさん、青海さん、起きて」
ぐらぐら、と世界が揺れる。随分はっきりとした、心配そうな声に呼ばれて、パ、と目が開いた。
「い、わんさん」
「大丈夫かい……? 泣いていたし、うなされていたから起こしたけど……」
肩に手を置いて、気づかわしげに私を覗き込む金緑の瞳が、しっかりと私の目に焦点を合わせている。
「イワンさん……わたくし、ちゃんとここにいますわ……」
「……うん、そうだね」
ぼたぼたと、際限なくあふれる涙を、優しい指が拭ってくれた。その手が熱くも冷たくもなくて、いつも通りの温度をしていたから。私もいつも通りの温度で生きているのだと実感して、……ちゃんとイワンさんの隣で、返事ができていることに安心して、彼にしがみついて泣いた。
彼の寝巻の胸元を涙で濡らしてしまって、気まずくてスン、と鼻を鳴らす。私が泣いている間、ずっと優しく頭を撫でてくれていたイワンさんが、のそりと身じろいだ。
「……落ち着いた?」
「おかげさまで……」
落ち着いたと主張するわりにはまだまだ涙声で、イワンさんが苦笑する気配を感じる。彼のことだから、どんな夢を見たのかは無理に聞き出そうとはしないだろうけれど。これを独りで抱えておくのはよくない、と思って、口を開いた。
「嫌な、夢を見ましたの」
そうでもなければ泣きながらうなされやしないのだから、当然だが。イワンさんは真面目な顔でうなずいてくれた。
「……イワンさんとの、お約束を、守れない夢」
ぱち、と瞬きひとつ。つい最近の悪夢に思い至ったのか、少し険しい顔になる。
「それは……」
「先日の、イワンさんの夢の。よくない続き、みたいでしたわ。おばけの気配もなかったから、ただのわたくしの心配事のせいで見たのだと思いますの。……たくさん、呼んでいただいたのに。お返事が、できなくて」
情けない話だ。あれだけの大口をたたいておいて、約束を守れなかったときのことを夢に見るだなんて。おばけ退治をしている以上、命を落とす可能性は常に付きまとう。とはいえ、端から守れると思っていないような約束はしない。それでもこんな夢を見るほど、自分の力に自信が持てていないのか、と突き付けられた。
「……悔しくて、かなしい夢でしたわ」
「キミが、どうして『悔しい』と言うのかはわかるけど……そのために無茶をしたりは、しないでくれるかい」
私の意地を張る性分をわかられていて、先に釘を刺される。私のことをとても大事にしてくれているイワンさんなら、そう言ってくれるだろうとは思った、けれど。
「でも」
「でも?」
「……お返事ができないでいるうちに、イワンさんが、わたくしを探してどこかへ行ってしまいましたのよ」
イワンさんに、あんなに虚ろで悲しい顔をさせて。見つかるはずもない探し物を、ほかでもない私がさせてしまうだなんて、とても耐えられない。生き残るために、少しでも力をつけなくてはいけないのだ。
「……オレが、キミを置いて?」
「だって、わたくしは『返事をしないのはわたくしではない』と申しましたもの……イワンさんはなにも間違ってませんのよ」
「泣きながらオレを呼んでいたのは、そういうことか……」
話をするために少しだけ開けていた距離を、ぎゅうと抱きしめてぴったりくっつかれる。抱きつき返せば、イワンさんはそっと背中を撫でてくれた。
「聞こえたよ、ちゃんと。青海さんは、返事をしてた」
例え寝言だったとしても、それが聞こえたから起きたんだよ、とゆっくり穏やかな声が言い聞かせる。
「オレが、もしキミを見失ったとしても。青海さんも、諦めないでオレを呼んで。オレが気づくまで」
「声が出なくても?」
「気づくよ。ワニは耳がいいんだから」